2009.11.12 Thursday

六本木ヒルズイベントスペースumuで、11月9から13日までの4日間開催されたマイケル・ジャクソン遺品展にいってきた。
コンサートや映画を除けば、これが生まれて初めてのマイケルのイベント参加だ。
開催3日目の今日はあいにくの雨。六本木は行ったことないし、結構な雨だし、かなりの戦意喪失。日付指定のチケットを買ってなかったら、行くのをやめたかも…というのは嘘だが。
出かける時間になって腹の具合が悪くなり、予定の時間を遅らせて、出かけた。
話はそれるが、ハライタは本当に困る。「This is it」を見るときもハライタで途中退席だけはいかんっ!と思い、上映数時間前には飲み食い禁止とした。
開場である10時に1時間遅れで会場に着くと、すでに長蛇の列!しかもあいかわらずの雨。利用した最寄り駅から徒歩7分とあり、方向音痴+テキトーな下調べだったにも関わらず、ちょうど迷ったところで、行き先が同じに違いないと思われる女性ふたりについていくと、予想通り会場まで連れていってくれた。
これぞ野生の勘!
入場規制があったので、30分は並んだろうか。
今回の遺品展とは、11月21日に行われるジュリアンズ・オークションズに出品されるマイケルに関係ある品の展示会だ。
目玉は、ムーンウォークを初披露した時に身に付けていたスワロフスキー付きのグローブだろう。
個人的には手書きの手紙とかマイケルが描いた絵が興味深く、さらにさらに興味深かったのは、「MICHEAL JACKSON SIGNENED HALL OF FAME INDUCTION PROGRAM」と説明されていたプログラムだ。
マイケルがロックの殿道堂入りをした時のプログラムで、2001年3月19日と印刷されている。グループを含め5組の歌手のイラストが描かれ、さらには赤と銀のマジックでいくつもの手書きのサインが書かれている。そのイラストのなかに、見覚えのあるお髭の顔を発見!それが添付した画像である。
ロジャーかブライアンのサインもあるかと探したのだが、マジックで書かれてるので余計に解読が難しく、マイケルのサインも、彼のサインを知らないと、分からないくらい。
80年なかば以降のマイケルとクイーンの(特にフレディとの)交流がずっと知りたいと思っていたので、この時にマイケルとロジャーかブライアンが会っていたら面白いなあと思ったのだが。
マイケルとクイーンの(フレディとの)の交流については、後日詳しく書くつもりだ。
もちろんマイケルもこのイラストがクイーンだと気付いたよねえ。そう思うとわくわくする。
最後にグッズ販売コーナーで2500円のプログラムを購入し、あと海外版のオークションの目録8000円を予約注文してから会場を出た。
実はこの目録の購入も会場にきた目的だったのだが、すでに品切ていたことは電話で問い合わせた時に分かっていた。会場で予約を受けると聞いていたので、予約が締めきられていないか気がきではなかった。
見本が出ていたのでぱらぱらめくってみると、マイケル以外の商品も出品されるのか、他の商品のページもかなりある。
ここでもまたまたクイーンを発見。アルバム「ミラクル」のジャケ写真だ。そのことに興奮して、それがどういう商品かの説明をチェックすることを忘れてしまった。目録が届いたら、報告する。
会場をあとにし、そのまま新宿バルト9に直行。3回目の「This is it」を見る。
本編上映前のコマーシャルで11月23日から上映されるクイーンのモントリオール公演の一部が流れた!フレディ!大音量でウィ・ウィル・ロック・ユーが流れると、体が動きしそうになる。
さて3回目は、1回目と同じような感じを受けてしまった。
いやさらに、悲しい思いが強くなった。
20年歌ってきたジャクソン5の歌もこれで最後なんだとか、もう生でビリー・ジーンを見ることは出来ないとか。それにやっぱりマイケルの痩せた体を見るのは辛い。
わたしがリアルタイムで追い掛けていた時は、見た目は元気で健康的だった。この映画のところどころでみかける疲れた様子をみると、正視できない。このあとの悲劇を知っているから実際は違うのに、そう見えてしまうのかもしれないが。
それでも職場で、20歳くらいの子たちが、「見にいった。良かった」とか「見に行きたい。マイケル結構好きなんで」というのを聞くと、嬉しくなる。
あと1度見にいこうと思う。出来れば、今度は単純に楽しみたい。
携帯電話で、こつこつ記事を書いているせいか、これまで以上に誤字脱字が多くなっている。お恥ずかしい。
しかも、物凄い間違えを発見してしまった。
マイケルがジャクソン5の歌を歌ったのは、20年ばかりではなく、倍の40年間だ。他にも明らかな間違いがあるのだが、それは後日訂正する。
2009.11.08 Sunday
マイケルとフレディには意外に共通点が多い…?ということで、列挙してみます。
乙女座。
マイケルは8月29日生まれの乙女座、フレディは9月5日の乙女座。
宗教。
マイケルは、エホバの証人(母親の影響)、フレディはゾロアスター教。キリスト教徒ではないということで。
マイケルはアフリカ系アメリカ人(白人とインディアンの血が入っているらしい)、フレディはペルシア系インド人 。
絵。
マイケルの絵はスリラーのブックレットに収録されているし、チャプリンの絵なども書いている。
フレディはアートスクールに通っていた。
ダンス。
マイケルといえばダンス。マイケルは自分のパフォーマンスをフレッド・アステアに直接誉められてとても喜んだ。フレディはバレエ好きが高じてニジンスキーに扮している。
「牧神の午後への前奏曲」。
ファンに好きな曲は?と聞かれた時のマイケルの答え。
フレディは、この曲でのニジンスキーのコスプレをしている。
いまふと気付いたのだが、ニジンスキーはこの曲の振り付けで、自慰を匂わす動きをしてみせて、センセーショナルを巻き起こしたが、マイケルも「ブラック・オア・ホワイト」の後半の黒豹をイメージしたダンスで、同じような動きをして、センセーショナルをまきおこした。
ライザ・ミネリ。
フレディは彼女が好きで、彼の追悼コンサートでは彼女が「伝説のチャンピオン」を歌った。80年代、マイケルはライザ・ミネリを伴ってよくパーティに出席していた。(母親のジュディ・ガーランドのファンだったという)
エルトン・ジョン。
クイーンの初期のマネージャーはエルトン・ジョンのマネージャーもしていたし、フレディの晩年には恐らく1番頻繁に見舞いに訪れた歌手仲間。
マイケルとも交流があって、エイズで亡くなった少年ライアン・ホワイトを生前ともにサポートし、彼の葬儀にはふたりとも出席している。また最初に少年虐待で訴えられマスコミに追い回された時にエルトン・ジョンが匿った。
エリザベス・テーラー。
マイケルの親友。
フレディの追悼コンサートでは彼女はスピーチを披露。
シャイ。
プロデューサーのクインシー・ジョーンズ(以下Q)の自叙伝によると、ふたりでアルバム製作に入る前、ちょっとした打ち合わせでQの自宅でマイケルに歌ってもらおうとしたところ、マイケルは恥ずかしいといって、Qの座るソファの後ろに座りQに背をむけて歌ったという。
一方フレディは、メアリーさんになかなか告白することが出来なかったと、彼女自身が証言している。
マイケルの「スリラー」の大成功前の数年間、ふたりは影響しあうよき友達だったという。マイケルは兄弟で結成したグループから独立し、独り立ちしようとしていた。
マイケルは小さいころそのキャリアをスタートをさせた時に、舞台袖から、ジェームス・ブラウンやジャッキー・ウィルソンのすごいパフォーマンスをみては自分のものにしていった。
同じように、70年後半から80年前半、クイーンに出会った頃、幼いころのように、フレディのパフォーマンスに刺激を受け、影響されたであろうことは、たやすく想像できる。
そう考えるとものすごくわくわくする!
なにしろ「僕はフレディ・マーキュリーのファンだ」発言してるし!
乙女座。
マイケルは8月29日生まれの乙女座、フレディは9月5日の乙女座。
宗教。
マイケルは、エホバの証人(母親の影響)、フレディはゾロアスター教。キリスト教徒ではないということで。
マイケルはアフリカ系アメリカ人(白人とインディアンの血が入っているらしい)、フレディはペルシア系インド人 。
絵。
マイケルの絵はスリラーのブックレットに収録されているし、チャプリンの絵なども書いている。
フレディはアートスクールに通っていた。
ダンス。
マイケルといえばダンス。マイケルは自分のパフォーマンスをフレッド・アステアに直接誉められてとても喜んだ。フレディはバレエ好きが高じてニジンスキーに扮している。
「牧神の午後への前奏曲」。
ファンに好きな曲は?と聞かれた時のマイケルの答え。
フレディは、この曲でのニジンスキーのコスプレをしている。
いまふと気付いたのだが、ニジンスキーはこの曲の振り付けで、自慰を匂わす動きをしてみせて、センセーショナルを巻き起こしたが、マイケルも「ブラック・オア・ホワイト」の後半の黒豹をイメージしたダンスで、同じような動きをして、センセーショナルをまきおこした。
ライザ・ミネリ。
フレディは彼女が好きで、彼の追悼コンサートでは彼女が「伝説のチャンピオン」を歌った。80年代、マイケルはライザ・ミネリを伴ってよくパーティに出席していた。(母親のジュディ・ガーランドのファンだったという)
エルトン・ジョン。
クイーンの初期のマネージャーはエルトン・ジョンのマネージャーもしていたし、フレディの晩年には恐らく1番頻繁に見舞いに訪れた歌手仲間。
マイケルとも交流があって、エイズで亡くなった少年ライアン・ホワイトを生前ともにサポートし、彼の葬儀にはふたりとも出席している。また最初に少年虐待で訴えられマスコミに追い回された時にエルトン・ジョンが匿った。
エリザベス・テーラー。
マイケルの親友。
フレディの追悼コンサートでは彼女はスピーチを披露。
シャイ。
プロデューサーのクインシー・ジョーンズ(以下Q)の自叙伝によると、ふたりでアルバム製作に入る前、ちょっとした打ち合わせでQの自宅でマイケルに歌ってもらおうとしたところ、マイケルは恥ずかしいといって、Qの座るソファの後ろに座りQに背をむけて歌ったという。
一方フレディは、メアリーさんになかなか告白することが出来なかったと、彼女自身が証言している。
マイケルの「スリラー」の大成功前の数年間、ふたりは影響しあうよき友達だったという。マイケルは兄弟で結成したグループから独立し、独り立ちしようとしていた。
マイケルは小さいころそのキャリアをスタートをさせた時に、舞台袖から、ジェームス・ブラウンやジャッキー・ウィルソンのすごいパフォーマンスをみては自分のものにしていった。
同じように、70年後半から80年前半、クイーンに出会った頃、幼いころのように、フレディのパフォーマンスに刺激を受け、影響されたであろうことは、たやすく想像できる。
そう考えるとものすごくわくわくする!
なにしろ「僕はフレディ・マーキュリーのファンだ」発言してるし!
2009.11.06 Friday
11月1日(日)。
2回目である。
水曜日に初回をみた時は、もう充分だ、もう見なくてもいい、と思ってしまったが、1日経ったあたりから、もう一度みたい気持がどんどんたかまり、この日を迎えた。
なかなか評判はいいようだ。わたしの職場の同僚は、妹さんが(たぶん二十歳くらい)みたいといっているから時間があえば一緒に行くといっていた。もちろん同僚も妹さんもマイケルの特別なファンというわけではない。妹さんはミュージカル好きで、なかでも「レント」が好きだという。それなら、このマイケルの映画をみたいというのも頷ける。
近所の映画館は前売りで1300円、IMAX版は2000円と、700円もの差がある。その違いは、私には音と、とりおろされたスリラーなどの映像を見た時の迫力の差として感じた。
日曜日ということもあって、満員だった。この前は前三列くらに空きがあった。
今回はちゃんと楽しめたので、内容をレポートする。曲順は正確ではない。
まず1番始めに、オーディションにきたダンサーたちのインタビューだ。1番最後に話していた男のダンサーの表情と言葉がよいのだ。
「人生ってつらいよね」と彼はいう。本当につらそうな顔。
でも自分にもやることがみつかったんだと。(うろ覚え)
「これがそれなんだ」(This is it)
マイケルの登場は、とても静かだった。カメラが向いた時にそこに彼はいた。
それはこの映画を通しての彼の印象になった。ノリのいい曲で切れのあるダンスをしていても、わたしには、マイケルはとても静かだと感じた。
冒頭の「スタート・サムシング」の「セイママサマママクサ」の合唱(?)では、物凄く手拍子したくなった!実際のコンサートの時のように。「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」でも思わず体が動き出しそうになるし。これらは初回ではなかった衝動だ。
次の「ジャム」の後だったか、「スピーチレス」を歌ってくれたのには感激した。できればもっと聞きたかった。この曲は2001年リリースのラストアルバム「Invincible」収録曲で、このアルバムは発売時に購入していたがほとんど聞いていなかった。それがマイケルが亡くなってから聞くようになり、この「スピーチレス」は1番耳に残る曲だった。気付くと口ずさんでしまう。
「ヒューマン・ネイチャー」のリハは、テレビでもよく流れていたが、夢のような世界。92年のコンサートで、実際にこの曲のパフォーマンスを見た時は、あんまり好きな曲ではなかったのに(子どもにはこの曲のアダルトな雰囲気が難しかった)、優しい歌声と、まるで鳥籠にも見えるライトのなかに、マイケルが捕えられてるかのようなパントマイムを使った振り付けは、本当に素晴らしかった。リハでは、ラフな動きしかしていなかったが、同じように素敵だ。
「ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール」は、わたしがマイケルのファンになってタイムリーにシングルカットされた曲だ。CDを聴きながら、ホー!とかアウ!とかマイケルと一緒に歌いまくっていた思い出の曲。
曲が入る前のオリジナルの味付けをキーボード担当者に指示している彼の姿が、いい。
こういう舞台裏の姿は初めてみる。
もっとテンポを遅くして欲しいのを、「起きてシーツから這い出してくる感じ」となかなか表現豊かだ。
「スムーズ・クリミナル」。私には分からない古い映画と、スムーズ・クリミナルの世界を重ねていた。その白黒映画に、有名な白いスーツと白い帽子を被ったマイケルが登場するという寸法。
「スムーズ・クリミナル」のPVのマイケルは30歳くらいだった。その同じスタイルを50歳を迎えたマイケルがしている。衣装が大きく感じたのはわたしだけだろうか。あまりにマイケルが痩せてみえる時があって、辛くなる。
シルエットを使った登場の仕方はバージョンアップしていて、最高だ。
そして「キャント・ストップ・ラビング・ユー」。この映画をみたファンの感想をみていると、この曲について書いているかたが多いようだ。
観客はダンサーやスタッフだけ。
彼は十数年ぶりのコンサートのリハをしている。
「フルボイスで歌わせないでよ。まだウォーミングアップ中なんだから」
と、ノリノリのスタッフたちにのせられ、ついしっかり歌ってしまったことをぼやいている。かわいい。
昔、わたしがマイケルに一目ボレして、友達にファン宣言した時、友達たちは気持悪いといったが、わたしには(いやマイケルのファンには)、彼はかっこよくて、そしてかわいいのだ。
もちろん、フレディもかっこよくて、かわいい。
「スリラー」。
ディズニーランドのホンテッド・マンションの世界だ。
これは、コンサートで是非体験してみたかった。ゾンビダンスのダンサーも花嫁衣装を着てたりナポレオンのような軍服をきてたりしてずいぶん雰囲気が違う。これまでのものはコミカルででも怖い感じだったが、新バージョンはコミカルでロマンティックな感じかな。
個人的に面白かったのは、J5メドレー。お馴染の「帰ってほしいの」「小さな経験」「アイル・ビ・ゼアー」。歌いだし。すぐに歌うのをやめてしまうマイケル。困ったような怒ったような、違うといったようにかぶりをふる。
マイケル以外は演奏を続けている。マイケルも仕方なさそうに少し歌い、また歌を途切れさせる。
1曲目が終わって、ようやくマイケルは訴えた。
「音のはねかえりが酷くて、自分の声が聞こえない。これじゃあ歌えないよ」
文句をいってもすぐにフォローをいれるマイケル。
「怒ってないよ。愛だよ。L・O・V・E」でもやっぱりちょっと怒ってるマイケル。
「ビート・イット」は最新のクレーンの試乗している。
「その高さが1番低い位置だよ」とこの映画の監督であり、コンサートの舞台監督だったケニー・オルテガ。
「そんなこといわないでよ」とマイケル。マイケルは高いところが好きなのだそうだ。
「ビート・イット」は、CDよりライブの荒々しい歌いかたのほうが好きな曲だ。
そして「ビリー・ジーン」。きっちりとは踊らず、音合わせ的な感じ。それだでもカッコいいものはカッコいい。わたしがマイケルに一目惚れしたのは、87年に偶然つけたテレビで見たこの曲のパフォーマンスだった。それまで洋楽なんてまるで聞いたことなかったのに、一瞬で魅せられてしまった。なんなんだろう、この凄い動きは!それからバカみたいに、BADツアーの日本テレビで放送されたコンサートのビデオを繰り返し見たものだ。この曲もライブのほうが好きだ。
「シェイク・ユア・ボディ」
マイケルがジャクソンズにいたときに、作った曲。87年の来日公演でもやっていた。
この曲では、主役はたくさんのダンサーたち。バク転などのアクロバティックな動きもあり、なかなか華やか。
「ブラック・オア・ホワイト」。
歌っている!口パクじゃない!カッコいい!ギターがまだ24歳くらいの金髪の女性でとてもかわいい。
「ここは君の見せ場なんだから、1番高い音を出すんだ」
とマイケルはいう。
「アース・ソング」
ノリノリの曲も好きだが、マイケルの優しい声が聞けるバラードが最近ではお気に入り。さっき挙げた「スピーチレス」とか、アルバム「ヒストリー」収録の「スマイル」とか。
「マン・イン・ザ・ミラー」
マイケルの曲でわたしが1番聞いた曲。映画のラストもこの曲だった。映画ではほんの一部しか流れなかったが、全部流れたらちょっと辛かったかも。
最後にマイケルがその長い両手を広げて、頭をのけぞらせている様は、両手が羽みたいで、そのまま彼は天にのぼってしまったんだなと、感じられるラストだった。
ケニー・オルテガがマイケルは天使だったと発言しているときいたが、まさにその通りだったんだと思う。純粋だけど愚かで、ひとりで背負うにはあまりに大きな負のエネルギーを受け、騙され傷つき、地獄につき堕とされ、それでも立ち上がり最後は静かに笑って天に召された。
この映画を見る前、ひとに抱えられないと歩けないような弱ったマイケルの姿やろれつの回らない話しかたをしている映像をみて、物凄く辛かったのだが、リハで自然に笑っている姿をみて、少し救われた。彼が笑うのを見られて幸せだった。
2回目である。
水曜日に初回をみた時は、もう充分だ、もう見なくてもいい、と思ってしまったが、1日経ったあたりから、もう一度みたい気持がどんどんたかまり、この日を迎えた。
なかなか評判はいいようだ。わたしの職場の同僚は、妹さんが(たぶん二十歳くらい)みたいといっているから時間があえば一緒に行くといっていた。もちろん同僚も妹さんもマイケルの特別なファンというわけではない。妹さんはミュージカル好きで、なかでも「レント」が好きだという。それなら、このマイケルの映画をみたいというのも頷ける。
近所の映画館は前売りで1300円、IMAX版は2000円と、700円もの差がある。その違いは、私には音と、とりおろされたスリラーなどの映像を見た時の迫力の差として感じた。
日曜日ということもあって、満員だった。この前は前三列くらに空きがあった。
今回はちゃんと楽しめたので、内容をレポートする。曲順は正確ではない。
まず1番始めに、オーディションにきたダンサーたちのインタビューだ。1番最後に話していた男のダンサーの表情と言葉がよいのだ。
「人生ってつらいよね」と彼はいう。本当につらそうな顔。
でも自分にもやることがみつかったんだと。(うろ覚え)
「これがそれなんだ」(This is it)
マイケルの登場は、とても静かだった。カメラが向いた時にそこに彼はいた。
それはこの映画を通しての彼の印象になった。ノリのいい曲で切れのあるダンスをしていても、わたしには、マイケルはとても静かだと感じた。
冒頭の「スタート・サムシング」の「セイママサマママクサ」の合唱(?)では、物凄く手拍子したくなった!実際のコンサートの時のように。「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」でも思わず体が動き出しそうになるし。これらは初回ではなかった衝動だ。
次の「ジャム」の後だったか、「スピーチレス」を歌ってくれたのには感激した。できればもっと聞きたかった。この曲は2001年リリースのラストアルバム「Invincible」収録曲で、このアルバムは発売時に購入していたがほとんど聞いていなかった。それがマイケルが亡くなってから聞くようになり、この「スピーチレス」は1番耳に残る曲だった。気付くと口ずさんでしまう。
「ヒューマン・ネイチャー」のリハは、テレビでもよく流れていたが、夢のような世界。92年のコンサートで、実際にこの曲のパフォーマンスを見た時は、あんまり好きな曲ではなかったのに(子どもにはこの曲のアダルトな雰囲気が難しかった)、優しい歌声と、まるで鳥籠にも見えるライトのなかに、マイケルが捕えられてるかのようなパントマイムを使った振り付けは、本当に素晴らしかった。リハでは、ラフな動きしかしていなかったが、同じように素敵だ。
「ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール」は、わたしがマイケルのファンになってタイムリーにシングルカットされた曲だ。CDを聴きながら、ホー!とかアウ!とかマイケルと一緒に歌いまくっていた思い出の曲。
曲が入る前のオリジナルの味付けをキーボード担当者に指示している彼の姿が、いい。
こういう舞台裏の姿は初めてみる。
もっとテンポを遅くして欲しいのを、「起きてシーツから這い出してくる感じ」となかなか表現豊かだ。
「スムーズ・クリミナル」。私には分からない古い映画と、スムーズ・クリミナルの世界を重ねていた。その白黒映画に、有名な白いスーツと白い帽子を被ったマイケルが登場するという寸法。
「スムーズ・クリミナル」のPVのマイケルは30歳くらいだった。その同じスタイルを50歳を迎えたマイケルがしている。衣装が大きく感じたのはわたしだけだろうか。あまりにマイケルが痩せてみえる時があって、辛くなる。
シルエットを使った登場の仕方はバージョンアップしていて、最高だ。
そして「キャント・ストップ・ラビング・ユー」。この映画をみたファンの感想をみていると、この曲について書いているかたが多いようだ。
観客はダンサーやスタッフだけ。
彼は十数年ぶりのコンサートのリハをしている。
「フルボイスで歌わせないでよ。まだウォーミングアップ中なんだから」
と、ノリノリのスタッフたちにのせられ、ついしっかり歌ってしまったことをぼやいている。かわいい。
昔、わたしがマイケルに一目ボレして、友達にファン宣言した時、友達たちは気持悪いといったが、わたしには(いやマイケルのファンには)、彼はかっこよくて、そしてかわいいのだ。
もちろん、フレディもかっこよくて、かわいい。
「スリラー」。
ディズニーランドのホンテッド・マンションの世界だ。
これは、コンサートで是非体験してみたかった。ゾンビダンスのダンサーも花嫁衣装を着てたりナポレオンのような軍服をきてたりしてずいぶん雰囲気が違う。これまでのものはコミカルででも怖い感じだったが、新バージョンはコミカルでロマンティックな感じかな。
個人的に面白かったのは、J5メドレー。お馴染の「帰ってほしいの」「小さな経験」「アイル・ビ・ゼアー」。歌いだし。すぐに歌うのをやめてしまうマイケル。困ったような怒ったような、違うといったようにかぶりをふる。
マイケル以外は演奏を続けている。マイケルも仕方なさそうに少し歌い、また歌を途切れさせる。
1曲目が終わって、ようやくマイケルは訴えた。
「音のはねかえりが酷くて、自分の声が聞こえない。これじゃあ歌えないよ」
文句をいってもすぐにフォローをいれるマイケル。
「怒ってないよ。愛だよ。L・O・V・E」でもやっぱりちょっと怒ってるマイケル。
「ビート・イット」は最新のクレーンの試乗している。
「その高さが1番低い位置だよ」とこの映画の監督であり、コンサートの舞台監督だったケニー・オルテガ。
「そんなこといわないでよ」とマイケル。マイケルは高いところが好きなのだそうだ。
「ビート・イット」は、CDよりライブの荒々しい歌いかたのほうが好きな曲だ。
そして「ビリー・ジーン」。きっちりとは踊らず、音合わせ的な感じ。それだでもカッコいいものはカッコいい。わたしがマイケルに一目惚れしたのは、87年に偶然つけたテレビで見たこの曲のパフォーマンスだった。それまで洋楽なんてまるで聞いたことなかったのに、一瞬で魅せられてしまった。なんなんだろう、この凄い動きは!それからバカみたいに、BADツアーの日本テレビで放送されたコンサートのビデオを繰り返し見たものだ。この曲もライブのほうが好きだ。
「シェイク・ユア・ボディ」
マイケルがジャクソンズにいたときに、作った曲。87年の来日公演でもやっていた。
この曲では、主役はたくさんのダンサーたち。バク転などのアクロバティックな動きもあり、なかなか華やか。
「ブラック・オア・ホワイト」。
歌っている!口パクじゃない!カッコいい!ギターがまだ24歳くらいの金髪の女性でとてもかわいい。
「ここは君の見せ場なんだから、1番高い音を出すんだ」
とマイケルはいう。
「アース・ソング」
ノリノリの曲も好きだが、マイケルの優しい声が聞けるバラードが最近ではお気に入り。さっき挙げた「スピーチレス」とか、アルバム「ヒストリー」収録の「スマイル」とか。
「マン・イン・ザ・ミラー」
マイケルの曲でわたしが1番聞いた曲。映画のラストもこの曲だった。映画ではほんの一部しか流れなかったが、全部流れたらちょっと辛かったかも。
最後にマイケルがその長い両手を広げて、頭をのけぞらせている様は、両手が羽みたいで、そのまま彼は天にのぼってしまったんだなと、感じられるラストだった。
ケニー・オルテガがマイケルは天使だったと発言しているときいたが、まさにその通りだったんだと思う。純粋だけど愚かで、ひとりで背負うにはあまりに大きな負のエネルギーを受け、騙され傷つき、地獄につき堕とされ、それでも立ち上がり最後は静かに笑って天に召された。
この映画を見る前、ひとに抱えられないと歩けないような弱ったマイケルの姿やろれつの回らない話しかたをしている映像をみて、物凄く辛かったのだが、リハで自然に笑っている姿をみて、少し救われた。彼が笑うのを見られて幸せだった。
2009.10.28 Wednesday
初日は1番後ろの真ん中と決めていた。
入場すると、映画にあわせてリリースされた「This is it」が流れていた。
恒例の観客チェックをする。私より年上の女性が多かったように思えるが、小学生の子どもを連れた家族や中学生くらいの男の子二人組もいた(ひとりはマイケルのクリアファイルを買っていた)。年齢高めの夫婦もいたし、小学生の男の子を連れた父親もいて、二人は熱心にマイケルグッズを物色し購入していた。それを怪しく見守るわたし。
さて感想はというと…見ながら号泣するかと思っていたが、予想に反して泣くこともなく、ただただ流れていくスクリーンを見ていた。
頭が真っ白になった。
複雑な思いで鑑賞を終え、何度か見ようと思っていたのに、1度でいいかもと思っている自分がいる。
よくなかった、というのでは決してない。
いま気が付いたのだが、この映画はロンドン公演の代わりではなく、あくまで舞台裏、リハーサルだということを、期待のあまりわたしは、すっかり忘れてしまったのだ。
舞台裏の映像としては、マイケルのリラックスしている姿をみられたり、いつもはリップシンクの曲の、生歌を聞けたりして、涎モノのお宝映像満載なのだが、この素晴らしいリハは完成されないまま、リハで終ってしまったのだと改めてつきつけられてしまい、みおえてからそのことに気づいたわたしは、今更ながらショックを受けている。
スリラーやスムーズ・クリミナルは、新たに映像が取られパワーアップしてたし、相変わらずヒューマン・ネーチャーはかっこよかった。
でもマイケルが描いていたコンサートの全体像はけっしてみることができないのだと思うと、テリー伊藤のいう通り切なくてたまらない。
チケットはあと2枚ある。次はまた違う見方ができるだろうか。
入場すると、映画にあわせてリリースされた「This is it」が流れていた。
恒例の観客チェックをする。私より年上の女性が多かったように思えるが、小学生の子どもを連れた家族や中学生くらいの男の子二人組もいた(ひとりはマイケルのクリアファイルを買っていた)。年齢高めの夫婦もいたし、小学生の男の子を連れた父親もいて、二人は熱心にマイケルグッズを物色し購入していた。それを怪しく見守るわたし。
さて感想はというと…見ながら号泣するかと思っていたが、予想に反して泣くこともなく、ただただ流れていくスクリーンを見ていた。
頭が真っ白になった。
複雑な思いで鑑賞を終え、何度か見ようと思っていたのに、1度でいいかもと思っている自分がいる。
よくなかった、というのでは決してない。
いま気が付いたのだが、この映画はロンドン公演の代わりではなく、あくまで舞台裏、リハーサルだということを、期待のあまりわたしは、すっかり忘れてしまったのだ。
舞台裏の映像としては、マイケルのリラックスしている姿をみられたり、いつもはリップシンクの曲の、生歌を聞けたりして、涎モノのお宝映像満載なのだが、この素晴らしいリハは完成されないまま、リハで終ってしまったのだと改めてつきつけられてしまい、みおえてからそのことに気づいたわたしは、今更ながらショックを受けている。
スリラーやスムーズ・クリミナルは、新たに映像が取られパワーアップしてたし、相変わらずヒューマン・ネーチャーはかっこよかった。
でもマイケルが描いていたコンサートの全体像はけっしてみることができないのだと思うと、テリー伊藤のいう通り切なくてたまらない。
チケットはあと2枚ある。次はまた違う見方ができるだろうか。
2009.10.28 Wednesday
昨晩体調が最悪だったので、購入した指定席チケットが無駄になるかもと、半分諦めかけてましたが(本気で悔し涙を流しました)、今日は持ちな直し、神様に感謝です。
もっとも影響を受けた作家の栗本薫が亡くなったその日は体調が最悪な時で、その1ヶ月後に同じく大好きだったマイケルが亡くなり、この映画「Thisis it」の公開にあわせるように再び体調が急落。2009年は本当に本当に、忘れられない1年になってしまいました。
今日昼間は11月1日(日)分のIMAX版の「This is it」の指定席のチケットを川崎まで取りにいき、昼はスンドゥブウチゲ定食でたっぷり汗をかき、HMVではマイケルが特集していたフリーペーパーをゲットし、いまは地元の、映画館があるショッピングモールで上映まで時間を潰してます。本当に具合いがよくなってよかった。
朝の情報番組で、この映画についてテリー伊藤が、見ると切なくなると思うと、いっていましたが、わたしも予告をみるだけで、胸がいたくなります。
マドンナがMTVのスピーチで、私たちはマイケルを見捨てたといってましたが、わたしも、一連のスキャンダルにふりまわされ、彼を見捨ててしまったひとりだと思うと、後悔するばかりです。
とにかく、マイケルの生きた証を見てきます。
もっとも影響を受けた作家の栗本薫が亡くなったその日は体調が最悪な時で、その1ヶ月後に同じく大好きだったマイケルが亡くなり、この映画「Thisis it」の公開にあわせるように再び体調が急落。2009年は本当に本当に、忘れられない1年になってしまいました。
今日昼間は11月1日(日)分のIMAX版の「This is it」の指定席のチケットを川崎まで取りにいき、昼はスンドゥブウチゲ定食でたっぷり汗をかき、HMVではマイケルが特集していたフリーペーパーをゲットし、いまは地元の、映画館があるショッピングモールで上映まで時間を潰してます。本当に具合いがよくなってよかった。
朝の情報番組で、この映画についてテリー伊藤が、見ると切なくなると思うと、いっていましたが、わたしも予告をみるだけで、胸がいたくなります。
マドンナがMTVのスピーチで、私たちはマイケルを見捨てたといってましたが、わたしも、一連のスキャンダルにふりまわされ、彼を見捨ててしまったひとりだと思うと、後悔するばかりです。
とにかく、マイケルの生きた証を見てきます。
2009.10.02 Friday
「マイケル・ジャクソン裁判」
2009年 ブルース・インターアクションズ/刊 アフロダイテ・ジョーンズ/著
マイケルの音楽活動を長いこと妨げ、徹底的に彼のイメージを破壊してしまったのが、1993年と2003年に起こった少年への性的虐待容疑だ。
1993年の時は、前にもちらっと触れたが、わたしがマイケルファンだと知っている友人から聞かされ、頭が真っ白になったのを覚えている。悲しいことに、その時から、わたしはマイケルから離れてしまったので、2つの疑惑がどういう道筋を辿ったのか、知らなかった。
1993年の時は、少年側に多額な和解金を払い、強い疑惑を世界に残したまま、再び2003に同じ容疑で訴えられてしまったということは、なんとなく知っていた。
確か、2003年の時だったか、「とくダネ」でアナウンサーの小倉さんが、この報道を伝えた後、「もう彼は駄目なんでしょうか…」とコメントしていたのを、胸を引き裂かれる思いで聞いていた。私もまったく同じ思いだった。
彼の自伝に、幼い頃兄たちや父親が、ファンの女の子たちと性行為をしているのを見て激しい嫌悪を感じたと書かれていた。
また彼が何度もいっているように、幼い頃からの音楽活動が子供時代を奪ってしまった。そのため、音楽活動以外の日常生活では、彼はまだ子どものままだとしたら、性的に成熟していなくても、不思議ではないかもしれないと自分を納得させていた。
以前ある雑誌で三輪(明宏)さんが対談を読んだ。このマイケルの容疑をどう思うか聞かれていた時、「この方を直接存じあげないので、何も申し上げることはありません」ときっぱりとそこで会話をとめたのを読んで、やっぱり三輪さんは凄いな、と思った。
話をもとに戻そう。
1番始めに挙げた本は、2003年の裁判を詳しく記録したものだ。
著者は、マイケルをバッシングをしていた当のジャーナリストだったが、この裁判の報道があまりに偏ったものだった事に疑問を感じ、公平な記録を残そうと筆をとったのだという。
この本に書かれていることが本当なら、彼はむしろ被害者だといえる。
詳しい内容には触れないが、お金があるところには、いろんな思惑が絡まり、その中心にいる者にもどうにもならないことが起こりうるということだ。
とにかく少年の証言も母親の証言もころころ変わり、お金目的ではないのかと疑いの目を向けられてしまうのも仕方のないように思えた。
直接この裁判には関係ないが、マイケルを訴えた少年の母親は、その後、不正に生活保護を受け取っていたと訴えられて有罪になっている。
2003年の裁判の判決でマイケルは無罪だった。
無罪判決が出たが、この裁判は、彼のキャリアをズタズタにし、彼の心を地獄におとした。
あれほど子どもたちを愛し、子どもたちのための活動をつづけてきたマイケル。その子どもたちの何人かから裏切られたのだから……
そして1番胸が痛くなったのは、「新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書」という本に書かれていた1文だった。
以下引用。
その上取り調べの際、マイケルは、意図的に糞尿のぶちまけられたトイレから「出してください」と頼むまでで45分も軟禁されるという屈辱も味わったと訴えました(警察は否定。)P288
この裁判に興味のあるかたは是非「マイケル・ジャクソン裁判」を読んでください。
2009年 ブルース・インターアクションズ/刊 アフロダイテ・ジョーンズ/著
マイケルの音楽活動を長いこと妨げ、徹底的に彼のイメージを破壊してしまったのが、1993年と2003年に起こった少年への性的虐待容疑だ。
1993年の時は、前にもちらっと触れたが、わたしがマイケルファンだと知っている友人から聞かされ、頭が真っ白になったのを覚えている。悲しいことに、その時から、わたしはマイケルから離れてしまったので、2つの疑惑がどういう道筋を辿ったのか、知らなかった。
1993年の時は、少年側に多額な和解金を払い、強い疑惑を世界に残したまま、再び2003に同じ容疑で訴えられてしまったということは、なんとなく知っていた。
確か、2003年の時だったか、「とくダネ」でアナウンサーの小倉さんが、この報道を伝えた後、「もう彼は駄目なんでしょうか…」とコメントしていたのを、胸を引き裂かれる思いで聞いていた。私もまったく同じ思いだった。
彼の自伝に、幼い頃兄たちや父親が、ファンの女の子たちと性行為をしているのを見て激しい嫌悪を感じたと書かれていた。
また彼が何度もいっているように、幼い頃からの音楽活動が子供時代を奪ってしまった。そのため、音楽活動以外の日常生活では、彼はまだ子どものままだとしたら、性的に成熟していなくても、不思議ではないかもしれないと自分を納得させていた。
以前ある雑誌で三輪(明宏)さんが対談を読んだ。このマイケルの容疑をどう思うか聞かれていた時、「この方を直接存じあげないので、何も申し上げることはありません」ときっぱりとそこで会話をとめたのを読んで、やっぱり三輪さんは凄いな、と思った。
話をもとに戻そう。
1番始めに挙げた本は、2003年の裁判を詳しく記録したものだ。
著者は、マイケルをバッシングをしていた当のジャーナリストだったが、この裁判の報道があまりに偏ったものだった事に疑問を感じ、公平な記録を残そうと筆をとったのだという。
この本に書かれていることが本当なら、彼はむしろ被害者だといえる。
詳しい内容には触れないが、お金があるところには、いろんな思惑が絡まり、その中心にいる者にもどうにもならないことが起こりうるということだ。
とにかく少年の証言も母親の証言もころころ変わり、お金目的ではないのかと疑いの目を向けられてしまうのも仕方のないように思えた。
直接この裁判には関係ないが、マイケルを訴えた少年の母親は、その後、不正に生活保護を受け取っていたと訴えられて有罪になっている。
2003年の裁判の判決でマイケルは無罪だった。
無罪判決が出たが、この裁判は、彼のキャリアをズタズタにし、彼の心を地獄におとした。
あれほど子どもたちを愛し、子どもたちのための活動をつづけてきたマイケル。その子どもたちの何人かから裏切られたのだから……
そして1番胸が痛くなったのは、「新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書」という本に書かれていた1文だった。
以下引用。
その上取り調べの際、マイケルは、意図的に糞尿のぶちまけられたトイレから「出してください」と頼むまでで45分も軟禁されるという屈辱も味わったと訴えました(警察は否定。)P288
この裁判に興味のあるかたは是非「マイケル・ジャクソン裁判」を読んでください。
2009.09.27 Sunday
しばらくマイケルのお話が続きます。
先日、ある出版社の営業さんとお話した時の事だ。
(ちなみにこの出版社は、彼の死後マイケル本を出している)
彼女はなんとアメリカでジャクソン5のコンサートを見ているそうなのだ。そのことにとても興奮したのだが、時間がなかったので詳しい話は聞くことはできなかった。
残念だ。
話の流れで、マイケルの肌の色の話になった。
「昔は可愛かったのに。
肌を白くするために皮膚移植なんかしてしまって…」
そう彼女がいった。
皮膚移植の話は初耳だった。
その時は、まだマイケルが亡くなってから2週間くらいしかたっていなくて、90年半ばから亡くなるまでの「その後」については、時おり耳にするゴシップの類を断片的に知っていただけだった。
彼の肌がだんだん白くなっていったのは知っていたが、皮膚移植の話は初耳だった。しかも彼女はまったく疑う様子もなく、言い切った。
マイケルと聞けば、ムーンウォークと同じくらい、整形手術をすぐに思い浮かべるかもしれない。
整形手術については、自伝「ムーンウォーク」のなかで、鼻を数回と(2回か3回と書かれていたと思う)、顎に割れ目を入れたと、整形手術をしたことを認めている。
私の読んだことのある雑誌には、他にもしているはずだと書かれているものが多かったが、そうかもしれないし、そうではないかもしれない。
肌の色の変化は、「くり返される」整形手術の延長として考えられているように思える。
1993年に見たオプラ・ウィンフリーのトーク番組にマイケルが出演した時、彼自身が白くなった肌について語っていた。肌を白くしたのではなく、肌の色が抜けてしまう病気なのだと。
最近になって白斑という病名を知った。
正直にいおう。わたしは、そのトーク番組をみた時、彼の言葉を信じようと思った一方で、そんな都合のいい病気があるのだろうか…と一瞬でも思ってしまったのも事実だった。
当時はいまのように、簡単にインターネットで情報を得ることなどできなかったし、ファン友だちもいなかった。耳に入ってくる情報といえば、悪意ある、または面白おかしく語られる彼のゴシップがほとんどだった。
まったく影響を受けない、というのは無理だった。
もし、マイケルが白斑という病気に苦しんでいたのが本当だとしたら。
90年半ばくらいから見掛けるようになった、大きな日傘をさし、大きなマスクをしている彼の姿は、「変人」ぶりを強調する絵としてテレビで流されていたのとは、まったく別の意味を持ってくる。(日焼けしてはいけない病気らしい)
あくまで彼が病気だったと仮定してだが、黒人として差別を受けてきた彼が、「白人となろうとした」とバッシングされるとは、なんという運命の皮肉だろう。
彼が亡くなってから3ヶ月が経った。
彼について書かれた雑誌、本、ブログやサイトを少しずつ読んでいる。
まだわたしには、どれが本当でどれが本当でないのか分からない。マイケルを酷くいう言葉のなかに、真実が隠されているかもしれないし、彼を弁護、あるいは称賛する言葉の中には、間違ったものもあるかもしれない。
これだけはいいたい。マイケルが生前、病気だったと発言していたことに触れた報道を、わたしは一度もみたことがない。
あいかわらず「肌を白くした」といわれているのだ。
追伸。
現在、パソコンが不調のため、携帯電話から投稿しています。長文を打つのが大変です。また参考にしたサイトさんもリンクできません。先になりますが復活したら、もっと見やすくするつもりです。
先日、ある出版社の営業さんとお話した時の事だ。
(ちなみにこの出版社は、彼の死後マイケル本を出している)
彼女はなんとアメリカでジャクソン5のコンサートを見ているそうなのだ。そのことにとても興奮したのだが、時間がなかったので詳しい話は聞くことはできなかった。
残念だ。
話の流れで、マイケルの肌の色の話になった。
「昔は可愛かったのに。
肌を白くするために皮膚移植なんかしてしまって…」
そう彼女がいった。
皮膚移植の話は初耳だった。
その時は、まだマイケルが亡くなってから2週間くらいしかたっていなくて、90年半ばから亡くなるまでの「その後」については、時おり耳にするゴシップの類を断片的に知っていただけだった。
彼の肌がだんだん白くなっていったのは知っていたが、皮膚移植の話は初耳だった。しかも彼女はまったく疑う様子もなく、言い切った。
マイケルと聞けば、ムーンウォークと同じくらい、整形手術をすぐに思い浮かべるかもしれない。
整形手術については、自伝「ムーンウォーク」のなかで、鼻を数回と(2回か3回と書かれていたと思う)、顎に割れ目を入れたと、整形手術をしたことを認めている。
私の読んだことのある雑誌には、他にもしているはずだと書かれているものが多かったが、そうかもしれないし、そうではないかもしれない。
肌の色の変化は、「くり返される」整形手術の延長として考えられているように思える。
1993年に見たオプラ・ウィンフリーのトーク番組にマイケルが出演した時、彼自身が白くなった肌について語っていた。肌を白くしたのではなく、肌の色が抜けてしまう病気なのだと。
最近になって白斑という病名を知った。
正直にいおう。わたしは、そのトーク番組をみた時、彼の言葉を信じようと思った一方で、そんな都合のいい病気があるのだろうか…と一瞬でも思ってしまったのも事実だった。
当時はいまのように、簡単にインターネットで情報を得ることなどできなかったし、ファン友だちもいなかった。耳に入ってくる情報といえば、悪意ある、または面白おかしく語られる彼のゴシップがほとんどだった。
まったく影響を受けない、というのは無理だった。
もし、マイケルが白斑という病気に苦しんでいたのが本当だとしたら。
90年半ばくらいから見掛けるようになった、大きな日傘をさし、大きなマスクをしている彼の姿は、「変人」ぶりを強調する絵としてテレビで流されていたのとは、まったく別の意味を持ってくる。(日焼けしてはいけない病気らしい)
あくまで彼が病気だったと仮定してだが、黒人として差別を受けてきた彼が、「白人となろうとした」とバッシングされるとは、なんという運命の皮肉だろう。
彼が亡くなってから3ヶ月が経った。
彼について書かれた雑誌、本、ブログやサイトを少しずつ読んでいる。
まだわたしには、どれが本当でどれが本当でないのか分からない。マイケルを酷くいう言葉のなかに、真実が隠されているかもしれないし、彼を弁護、あるいは称賛する言葉の中には、間違ったものもあるかもしれない。
これだけはいいたい。マイケルが生前、病気だったと発言していたことに触れた報道を、わたしは一度もみたことがない。
あいかわらず「肌を白くした」といわれているのだ。
追伸。
現在、パソコンが不調のため、携帯電話から投稿しています。長文を打つのが大変です。また参考にしたサイトさんもリンクできません。先になりますが復活したら、もっと見やすくするつもりです。
2009.09.17 Thursday
マイケル・ジャクソンのファンだったのは、87年の初来日後から92年のデンジャラス・ツアーでの来日公演くらいまでだったと思う。
その後、わたしがマイケルファンだったことを知る友人から、少年に対する性的虐待で訴えられた事を知る。
エレファントマンの骨を買おうとしたとか、整形手術を何度も繰り返しているとか、80年代から週刊誌ネタにされることは多かったけれど、90年代はそれがどんどんエスカレートしていった。
少年虐待の報道の時の、ある男性アナウンサーの発言には激しい怒りを感じ、それ以来わたしはそのアナウンサーが好きになれない。
ひどい報道とともに、わたしは少しずつ彼から離れていってしまった。音楽より読書に時間を裂くようになったのと、そして時折見掛けるマイケルの姿を見るの辛かったから。
それでもマイケルが、クイーンの「地獄へ道づれ」が好きだったというのを知ったり、彼がフレディのファンだったこと、ジョンがモータウン(ジャクソン5が所属していた)の音楽が好きだったことを知ると、マイケルとの縁が続いているのを感じたものだった。
ロンドンで、50公演すると知った時は、友人に、「そんなに公演できるかな」と話していたことは記憶に新しい。
実はここ数年、わたしはよく彼と死を結び付けて考えてしまっていた。テレビから流れてくるマイケルの報道を(ほぼ100%ゴシップ)受動的に見ていると、彼はとても生きるのが辛そうに見えたし、ここ数年の彼の時間が余生のように感じられてしまっていたから。
亡くなってようやく負の連鎖から解き放たれ、性的虐待の真実も彼の音楽の評価も、まともに判断が下されるのではないかと考えるようになってしまった。こんな事を書いたら、ずっと彼を支えてきたファンの方たちに叱られてしまうに違いないけれど。
そして6月26日の朝。彼の死亡報道がされた時、わたしはまったくショックを感じなかった。やっぱり、としか感じなかった。
悲しみと喪失感はじわじわと時間をかけてやってきた。
最近少しずつ、敢えてみようとしなかった彼のその後を、紐といている。
彼は本気で、今度の50公演をやるつもりでいたのだ。
彼には音楽しかなかったのに、それをとりあげられどんなにつらく、悲しかっただろう。それがようやくカムバックのチャンスを得たのに…
彼は死なないとちゃんと評価されないなんて考えてしまっていたなんて、彼はちゃんと前に進んでいたのに。
マイケルが亡くなって、掌を返したように彼を持ち上げる報道をしだしたマスコミを、覚めた気持ちで眺めていたけれど、唯一心に響いた言葉があった。それはテリー伊藤の言葉だった。
「アメリカはマイケルに冷たすぎた。だから今度の復活公演もアメリカでは出来なくて、ロンドンでやることにした…薬が原因で亡くなったかもしれないけど、彼は神様に呼ばれたんだよ」
その後、わたしがマイケルファンだったことを知る友人から、少年に対する性的虐待で訴えられた事を知る。
エレファントマンの骨を買おうとしたとか、整形手術を何度も繰り返しているとか、80年代から週刊誌ネタにされることは多かったけれど、90年代はそれがどんどんエスカレートしていった。
少年虐待の報道の時の、ある男性アナウンサーの発言には激しい怒りを感じ、それ以来わたしはそのアナウンサーが好きになれない。
ひどい報道とともに、わたしは少しずつ彼から離れていってしまった。音楽より読書に時間を裂くようになったのと、そして時折見掛けるマイケルの姿を見るの辛かったから。
それでもマイケルが、クイーンの「地獄へ道づれ」が好きだったというのを知ったり、彼がフレディのファンだったこと、ジョンがモータウン(ジャクソン5が所属していた)の音楽が好きだったことを知ると、マイケルとの縁が続いているのを感じたものだった。
ロンドンで、50公演すると知った時は、友人に、「そんなに公演できるかな」と話していたことは記憶に新しい。
実はここ数年、わたしはよく彼と死を結び付けて考えてしまっていた。テレビから流れてくるマイケルの報道を(ほぼ100%ゴシップ)受動的に見ていると、彼はとても生きるのが辛そうに見えたし、ここ数年の彼の時間が余生のように感じられてしまっていたから。
亡くなってようやく負の連鎖から解き放たれ、性的虐待の真実も彼の音楽の評価も、まともに判断が下されるのではないかと考えるようになってしまった。こんな事を書いたら、ずっと彼を支えてきたファンの方たちに叱られてしまうに違いないけれど。
そして6月26日の朝。彼の死亡報道がされた時、わたしはまったくショックを感じなかった。やっぱり、としか感じなかった。
悲しみと喪失感はじわじわと時間をかけてやってきた。
最近少しずつ、敢えてみようとしなかった彼のその後を、紐といている。
彼は本気で、今度の50公演をやるつもりでいたのだ。
彼には音楽しかなかったのに、それをとりあげられどんなにつらく、悲しかっただろう。それがようやくカムバックのチャンスを得たのに…
彼は死なないとちゃんと評価されないなんて考えてしまっていたなんて、彼はちゃんと前に進んでいたのに。
マイケルが亡くなって、掌を返したように彼を持ち上げる報道をしだしたマスコミを、覚めた気持ちで眺めていたけれど、唯一心に響いた言葉があった。それはテリー伊藤の言葉だった。
「アメリカはマイケルに冷たすぎた。だから今度の復活公演もアメリカでは出来なくて、ロンドンでやることにした…薬が原因で亡くなったかもしれないけど、彼は神様に呼ばれたんだよ」
2009.09.16 Wednesday
本当に久しぶりの更新です。パソコンの具合いが悪くて、ネットが使えなくなってしまった間に、大好きだったマイケル・ジャクソンが亡くなってしまいました。
洋楽を聞くきっかけは、マイケルでした。しばらくわたしのマイケル話にお付き合いください。
洋楽を聞くきっかけは、マイケルでした。しばらくわたしのマイケル話にお付き合いください。


